私の仕事(将来編)と両親への報告:糸島移住(8)

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こんにちは、つたちこです。
前回の続きです。

 

退職意志を会社に伝えたわけですが、まあ、その辺も私らしく(?)うだうだしました。
一度決めたのだから、さらりとできればかっこよかったですが、ぎりぎりまで「ほんとにいいのか?」「後悔しないのか?」と悩みまくり。
面談で、役員に向かって声に出す直前まで、手が震えました。

でも、それを乗り越え、一度声に出してしまったら、なんというか、急に踏ん切りがついたのです。
「あー、もう言っちゃったし! 何とかするしかない!」
みたいな開き直りに近い感じでした。

私の仕事(将来編)

じゃあ、今の会社を辞めて何をするか、と考えたときに、自分的には2択ありました。

1、福岡の別の会社に転職
2、フリーランス

別の会社に転職するとしたら、やっぱりウェブ制作か?
でも、これまでの残業・休日出勤まみれの生活みたいなのは、もうやめたい。
もう一生分残業したと思うよ……。

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もちろん福岡の会社は、東京と違ってそんな働き方はしていないかもしれない。
でもまあ、同じ業界。
正直、あまりそそられません(約2年前に1案件専任担当を希望したのも、そのあたりの理由があります)。

まあ、そもそもこの年齢(40代中盤)の転職で、雇ってもらえるかもわかりません。

それならば、オットの考えたものの中で私が「やってみたい!」と思ったこと。
それをベースに、フリーランスで仕事をしていってみようか。

 

一番最初に私にフリーランス希望を言いだしたときのオットのことを、あれこれ言えません。
私の、なんと無計画で無謀なことか。
ああ、オットよ、すみません。

 

なんていうか、今までがちがちになってがむしゃらに働いていた分、ちょっと無茶な冒険してみるか、というような気持ち。

でも自由(フリーランス)とは、全て自分の責任でもあるわけです。
特にお金のことは、かなりいろいろ考えました。

1か月にいくらかかるかの計算をして、もし収入ゼロが続いた場合に、どれだけの期間生きて行けるか。
シミュレーションしたところ、これまで頑張っていたから貯蓄もそこそこあるし、しばらくは食いつなげそう。
いざとなったら、バイトでもなんでも食べていくために仕事しよう、とも思いました。
これは今も思っています。

親への報告

会社に伝えてしまったら、次は親への報告です。
双方の親に、退職&フリーランス化&移住(福岡予定)の3コンボの話をしに行きました。

双方とも、わりとすんなり理解してくれ「がんばれ」と応援してくれました。
正直なところ、ここがもっと反対されるかと思っていたので、ちょっと拍子抜けしました。

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特に私の母(父はもう他界してます)は、絶対反対すると思ってました。娘大好きの人なのです。
でもわりと冷静に話を聞いてくれ、「福岡は遠いね、なんで福岡?」といったやり取りはありましたが、説明をしたところ割と素直に納得してくれてびっくりしました。

退職 → フリーランスについてはむしろ賛成の方向。
たぶん、私の仕事に対するのめりこみ具合とか、疲労とかを見ていたからでしょうか。
ずっと体やら心やらを壊してしまうのではないかと心配をかけていました。ごめんなさい。
私の実家は、私が生まれた年にサラリーマン→自営業転身組なので、その辺も理解があったのかもしれません。

「自営業は絶対波があるから収入ないときもあるだろうけど、あんたの仕事は在庫も持たないし、場所もいらないから、仕事がなくてもその時期をなんとかやり過ごせばいいよ」
「あんたは経理を勉強しないと!」
などと、アドバイスまでくれました。
ありがたや。

そもそも、年老いた母を東京に置いて福岡に行く決心ができたのは、兄家族が一緒に暮らしてくれている安心感があるからで、それもありがたいなあ、と家族に感謝しかありません。
義母たちはまだまだ若く、同じく家族もそばにいるので、こちらもすぐに何かの心配はなさそう。

とはいえ、福岡に行ったら、まめに東京帰って顔出さねばなあ、と思いました。

 

(続きます)

続きはこちら

再度福岡へ。本格的な移住先偵察:糸島移住(9)

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私が会社を辞める決心をしたこと:糸島移住(7)

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移住のきっかけはオットのフリーランス希望から始まった:糸島移住

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この記事を書いた人

つたちこ

フリーランスのwebディレクター。基本方針は、健康的においしい食べ物とお酒を楽しむこと。できるだけご機嫌で生きていきたい。
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