こんにちは、つたちこです。
前回の続きです。
なんだかんだ悩みつつ、福岡移住に心が傾く私。
でもやっぱり仕事の面で、決断しきれないのでした。
少し、私の当時の仕事の話をします。
Contents
私の仕事のこと
仕事面で一番気にしていたのは、その時任されていた仕事でした。
2年ほど前から、私の仕事内容が大きく変わったのです。
とあるクライアントの大型オウンドメディアサイトの構築から運用まで、まるっと任されるプロジェクトの専任担当になったのでした。
それまでの仕事のように複数案件を五月雨にこなすのではなく、1つの案件にひたすら向き合う仕事。
それはもう、すごくやりがいのある仕事でした。
自分的に挑戦する部分も多く、必死で食らいつく感じ。
一方、責任も重く、特に春から秋くらいまではとても忙しい。
大きくとも1つの案件だから、気持ちが集中できるのはありがたかったし、その専任担当になることは私の希望でもありました。
でも、忙しさと言ったら、むしろ前より忙しいんじゃないの、ってくらい忙しかった。
構築時と初年度は、きつくてもやった分だけ報われる感覚もあり、よかったのです。
でも2年目になり、クライアントの方針が当初聞いていたものと若干変わってきたのです。
徐々に「あれ?」ってなることが増えた。
もともと先方社内ではそうなる想定だったのかもしれませんし、社内的ないろんな事情があったのだろうとも思います。
いやいや、それって、ちょっと変じゃないですか? こっちのほうが本来想定していた姿では?
そういうの、本来のユーザーさん逃げちゃいませんか?
というように話をしても、
「言ってることはわからんでもないけど、会社としての方針なので」
ということになれば、それ以上逆らえず。受託の悲しさよ。
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そうなると、自分のやっていることがなんだかむなしく感じることも増えてきて、それがとてもつらい気持ちになることが多くなり。
それでもやることは山のようにあるのです。
そんな気持ちで夜中までかかって仕事を片付けるのは、とてもしんどい。
ある日、なにかが切れたのでした
毎日遅くに帰り、夜遅くに夕食を食べる日々が続きました。
ぼんやりとテレビを見ながら、ひとりもそもそ食べる夕食。
オットのほうが先に帰ることが多かったので、簡単な夕食を用意してくれていましたが、それに対する感謝の気持ちもおろそかになったり。
私のぼんやりした態度によって、喧嘩したこともありました。
なんで私はこんなむなしい気持ちになってんのに、必死で頑張っているんだろう。
ひとり夜中に無性に悲しくなり、わんわん泣けてきたりしたこともありました。
そうしてある日、私はもうこの仕事を手放そう、と思ったのでした。
もうこんな気持ちで、ずっとしがみついて続けるのは無理だ。
それならもう、福岡で、お金にならないくてもいいから自分のやりたいことをしたい。
辛いことから逃げた、というのがたぶん正しい。
でももう、そんなむなしくごはんを食べるような生活はしたくなかった。
移住決定&オットの年内退職決定
私が、「もう会社を辞めよう」と決心をしたことで、もともと乗り気だったオットとの話はどんどん進みました。
この時、2016年初夏。
基本的な方針は、移住するならもうここでしょ、と考えていた福岡市(あるいは近郊の糸島市)に移住する方向で決定。
こつこつ準備をしていたオットは年内いっぱいで退職し、フリーランスに転身決定。
(オットの目標だった「40歳までにフリーランス」は、1か月ほどオーバーすることになりました)
あーなんか、一つ決断すると進むのが早いなあ、と思いました。笑
ツマ(私)の仕事の行方
で、私の仕事の話にまた戻ります。
もうつらい、逃げたい。
とはいえ、今任されている仕事を放りだすわけにはいきません。
その仕事の契約は1年ごとの更新で、その時点での契約は2017年3月末まででした。
もちろんそれは「会社 対 会社」の契約であり、私はただの従業員。
退職願を出して1か月後に「はいさよなら」ということも法律的には可能ですが、それはやりたくない。
というか、気持ち的に絶対できない。
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いろいろあったけど、長いことお世話になった会社へ、砂をかけるようなことはしたくない。
つらい気持ちになっていたとはいえ、ゼロの状態から2年弱がっつりと関わってきた仕事への愛着もある。
その仕事を、できるだけきちんと次の人にバトンを渡したい。
とはいえ、代わりになる人を探すのは、おそらく大変だろう、とも思いました。
当時というか、今もだと思いますが、ウェブディレクターという仕事は非常に人材不足で、特に中堅どころの採用にとても苦労していたのです。
私自身が以前、中途採用担当していたので、その辺はよく身に染みてました。
※ちょっと特殊な体制でやっていた仕事だったので、社内の別メンバーに引き継ぐ、というのも難しかったのです。
私が退職意志を示しても、次の人を探して採用するのは、たぶん、時間がかかる。
なので、もう辞める決心したのなら、とっとと会社に伝えて次の人を探してもらおう。
そして、なるべく私と重なる時間を作ってもらい、できるだけ丁寧に引き継ぎたい。
そうして私は2016年7月、夏の賞与支給日に、はるか先のことのように思えた「2017年3月で辞めます」という意思と、次の人を早急に探してほしい旨を、会社に伝えたのでした。
はや!!! 9か月前!!
(続きます)
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