こんにちは、つたちこです。
最近、走ったご褒美としてスーパー銭湯に何度か行っています。
のんびりと風呂につかっていると、目の前には、さまざまな裸体が通り過ぎます。
子ども、若者、お母さん、おばちゃん、おばあちゃん。
個性様々。
風呂であったまりつつのんびりする以外にすることもないので、おしりには個性が出るなあ、と思いながらぼんやりと拝見しています。
あれですね、年齢を重ねていることが顕著にわかるのは、おしりの標高ですね。
やせていても太っていても、年を取るほど重力に逆らえないものなんだな、としみじみと感慨深い。
どんなに抗おうとも、自分もいずれ(いまも?)向かうところでもあります。
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そんな中、先日見かけたのは非常にうつくしいお尻でした。
思わず「おおー……」とひとり呟いてしまうほど。
おそらく10代後半くらいの、女性。
非常に高さがあって、まるまるとしている立体的な形。
尻と太ももの区切りがはっきりしていて、曲線が連続していない。
「ここからがおしりです!」と境目の主張がしっかりした、黒人の人のお尻によくあるタイプです。
なんといったらいいか。
「健康美」を体現させたらこんな風になるんじゃないかな。
けしてモデル体型とかじゃないです。
むしろ若干むちむちぎみ。
でもそれがまた、皮膚の中でなにかが張り詰めた感じになっている。
つるつるの肌につつまれたお尻の丸みの美しさよ。
「ぴちぴち」とは、彼女のためにある言葉ではなかろうか、とか、どんどん妄想(?)は進む。
もしかしたら、彼女自身は若さならではのいろんな体のコンプレックスを持っているのかもしれない。
たとえば、もっと痩せたい、とか、二重になりたい、とか。
※視力のよくない私に彼女の顔はよく見えてません。
でも、そんなもの傍から見たら何も気にならないほど素晴らしいものをあなたは持っているよ! と肩をたたきたくなるような圧倒的な美しさでした。
彼女はすぐに目の前を過ぎていきましたが、なにかすばらしいものを拝見した気持ち。
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若さとは素晴らしいなあと感動しつつ、同時に、あれが美しいのは、いずれ変化する前提で時間が通り過ぎる瞬間のものだからかもしれない、などとも考えました。
いずれは彼女のおしりも、年齢とともに変化していく。
10年もたてば、おそらくあのくっきりとしたラインはなくなり、ちょっとぼんやりしてくるに違いない。
お母さんになってどっしりするかもしれないし、おばちゃんになったらさらに標高が下がってくるだろう。
おばあちゃんになったら、どこからお尻でふとももなのかさざ波のような段差で分からなくなるかもしれない。
経験を積んで、おしりも変化していくのだ。
子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの
という言葉がありますが、若い彼女はもちろん、私も、誰もが、いずれその道を行くのよね。
年を取ること自体に恐怖を覚えることはあまりないのですが、ちょっと寂しいようでもあり、先を行く人の歴史に学ぶような気持ちでもあり。
スーパー銭湯のマッサージ風呂につかってる最中の出来事でした。
(お風呂はぼんやりと物事を考えるのに最適です)