【映画メモ】「ドライブ・マイ・カー」

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こんにちは、つたちこです。
久しぶりに映画見てきました。いろいろ映画賞を受賞して話題の「ドライブ・マイ・カー」。雑な説明ですみません。

平日日中にもかかわらず、結構なお客さんの入りでした。
貸し切りくらいの想定をしていたのですが、色々受賞して話題になったからこその特別上映なので、当然人もくるか。
ちなみに、客層は圧倒的に年齢層高めでした。

私は村上春樹作品はそんなに得意じゃないです。
昔、ものすごく流行ったころに何冊か読んで、はまらずに今に至ります。
うーん、私にはあまりあわないかなあ? と思ったので、それ以後の作品はほとんど読んでいません。

ただ今回の映画「ドライブ・マイ・カー」は非常に良作品、数年に1度の出色の出来と聞き、それなら見てみたいなあ、と年始くらいに思っていながら、ようやく3月に見ることになりました。

上映時間は約3時間。
ものすごい起伏が激しいわけでもないのに、美しい映像と言葉のやりとりで、最後まで全く飽きさせませんでした。
そして腰痛・首痛などを覚悟していったのですが、無事でした。

<以下ネタバレを含みます>

写真:ドライブ・マイ・カー 上映中

妻パート、よかった

観る前に、「妻を亡くした男の喪失と再生の物語」、とざっくりとらえていたので、前半の妻パート(アバンタイトル)がこんなに長いと思わなかった。
なんなら、「亡くなった後」から始まるものだとばかり思ってました。

舞台演出家 兼 俳優の家福さん(主人公:西島秀俊さん)と妻の音(霧島れいかさん)パートが、30分? 1時間弱?
時計がないからわからないけど、かなり長かった。

タイトルと役者名が表示されたときに、「え、いまタイトル!?」と心の中でびっくりしました。

だけど、ここでしっかりと時間をかけて妻の行動、家福さんとの関係性、物語る妻、家福さんの逡巡を見せることで、あとからのやり取りに効いてくるのだなあ。
エッチシーンも多数ありましたが、シルエットや背中で見せる、美しいシーンになってました。
(でも映倫区分PG12はどうかなあ……R15では?)

BGMがほとんどない

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こんなにBGMがかからない映画とは。

環境音と声、沈黙の時は沈黙のまま。
演出の中で、まったく無音になるときも。

劇中に多く流れるドライブシーンの、車のエンジン音が心地よかったです。

岡田将生がとてもいい

音の浮気相手でもある若い役者、高槻役の岡田将生、よかった!

イケメンで演劇の才能もあるのだけど、メンタルコントロールが下手で衝動的に行動しちゃう若者を、いやな感じがなく演じてました。
まじめで真摯な印象があるのに、裏面にだらしなさもある。

後半の車の中での一人語りは、ちょっと神がかっていた。
引き込まれました。

手話演劇がこんなにいいとは

劇中で、国際演劇祭が行われるなかで、主人公家福さんが演出を担当する「多言語演劇」が行われます。
韓国語、英語、中国語、日本語など、各国の出演者がそれぞれの母国語で一つの舞台を作るのです。初めて見た。
舞台上にスクリーンがあり、そこに翻訳された言葉が表示されて、観客は言語がどれでもわかるような仕組みです。

その「多言語」の内の一つが「手話(韓国手話)」でした。
たしかに、「手話」も言語のひとつで、翻訳してもらえたら伝わるのだ。

チェーホフの「ワーニャ叔父さん」のワーニャの苦しみが家福さんの苦しみに重なるラストシーン。
それを辛いものだと受け止めよう、とソーニャが手話で語る。
家福さんが演じるワーニャを背中から抱きしめるようにしながら、
「苦しみを抱えて、私たちは生きていきましょう」
と、手話で、全力で優しく語るのです。

こんなに手話が雄弁だとは。
映画と演劇のラストが重なり合って、懸命に生きるしかないことを伝えるシーン。とてもよかったです。

でもラストは謎すぎる

演劇祭が終わり、シーンが切り替わると、なぜか韓国にいるドライバーみさき(三浦透子さん)。
マスクをしているので、コロナ禍なのかな?
買い物を済ませて駐車場に向かうと、家福さんの車と同じ赤いサーブにのりこみます。
車の中には大型犬。

車のナンバープレートは日本のものではない。
生活拠点が韓国になっている風です。

え、なんでいきなり韓国?
なんでその車?
そんな伏線あった?

と、謎めいたままで走りさり、映画は終わりを迎えました。

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最後ーー!!
なんなんだーー!

あとから映画情報を色々とググったら、もともとこの映画は韓国ロケ中心で作られる予定だったらしい。
演劇祭も韓国が舞台だった。
コロナ禍で海外ロケができなくなり、急遽広島・瀬戸内を舞台に変更したのだそうです。

だから最後だけ韓国なの……?

しかも、 家福さんはいないのに車はある。
同じ車をみさきが買ったのか、家福さんからもらい受けたのか。あるいはここにいないだけで一緒にいるのか。
(そんなにお金をもってなさそうなみさきに買える車なんだろうか?)

最後の最後で「?」を連発して、エンドロールでした。

原作小説は短編だし、謎は解けない

映画の後、本屋に寄ったら原作の小説が置いてありました。
気になったのでめくってみると、原作は本当に短編なのですね。うーん、これを相当丁寧に膨らませたのですね。

舞台は東京だし、車は黄色い。演劇祭の下りもない。
妻の音は、くも膜下出血ではなく、子宮がんで亡くなってる。
みさきの母は、土砂崩れではなく車の事故でなくなってる。

もちろん、韓国に関する記述はない。

でも映画のラストの理由はわからないままです。
考えるな、感じろ、ということでしょうか。
家福さんとのやりとりで、母を亡くしたことへの自責の念に整理がついて、生きる気力の湧いたみさきが新天地を求めたのかもしれません。

3時間、たっぷり楽しめる映画でした

というわけで、最後がよくわからない、という点はありつつも、3時間はあっという間でした。

家福さんの気持ちの揺れ動き、大勢で舞台を作り上げていく過程、大事な人の喪失をきちんと受け止めるための長いドライブ、舞台とリンクする「つらくても、それでも生きていく」気持ちの高まり。
すべてに意味があって、つながっていく3時間でした。

たしかに良質な映画に感じました。
個人的には、先ほど書いた手話演劇のシーンと、高槻の長回し語りシーンがとても印象深い。
泣いた! 感動! みたいなのはなかったのですが、ぐぐっと心に響きました。

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この記事を書いた人

つたちこ

フリーランスのwebディレクター。基本方針は、健康的においしい食べ物とお酒を楽しむこと。できるだけご機嫌で生きていきたい。
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