こんにちは、つたちこです。
鹿児島に行った際、薩摩切子を売っているおみやげやさん(高級)に立ち寄る機会がありました。
とても美しくて、わくわくしました。
薩摩切子、色もいろんな色があるのですね。
赤や青のイメージでしたが、黄色や緑、紺、あと2色を重ねたものなどもありました。
とてもきれい。

それにしてもいいお値段です……。
「わー、きれい!」と思って値札をみて、とたんに触れなくなってしまう。
ぐい飲みサイズのグラスで、3万円くらい。
小さなピアスやペンダントヘッドでも1万円越え。
大きな壺になると、300万円越え(!)もありました。
ひえー。
そんなの普通に手が届く範囲に展示してあるけど、なんかあったらどうするのー!
と心配になってしまう、小心で庶民な私です……。
薩摩切子については、今回初めて詳細を知りました。
ざっくりと概要はこんな感じです。
その後、島津斉彬が亡くなったこと、薩英戦争や西南戦争などの動乱時にいったん途絶える。
1985年に技術の再現に成功、現在は現存する古い薩摩切子を再現した復刻ものや、特徴を踏まえた新しいデザインのものも生産。
一時は途絶えてしまったものを復活させた、貴重な技術なんですね。
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さてそのお店の中で、薩摩切子の製作工程をビデオで流していたのですが、これがとても興味深い。
こういう工芸品の工程説明のビデオとか、大好物です。
透明のガラスに色ガラスを重ね、ガラスを吹いて土台を作り、削るためのマークをつけて、削って、研磨して、ようやく出来上がります。
その一つ一つの工程に厳しいチェックが入り、少しでも品質が低いと、その段階ではねられてしまうそうです。
最終的に商品化されるのは2割ほどとか。
2割!
何人もの手を経て、めちゃくちゃ手と時間のかかる工程を繰り返した結果、たった2割しか商品化されないとは!

こんなざっくりでは、あの手のかかりようは伝わりにくい…
そりゃ、高いはずだわ……。
というか、むしろもっと高くてもいいのでは……。
完全な嗜好品だからたくさんは売れないだろうし、商品化されない8割の材料費とか、人件費や技術費、伝統技法の人材育成費などなどと考えてしまった。
一方、同行した母曰く
「きれいで買おうかと思ったけど、ちょっと高すぎる」
「これじゃ高すぎて売れない」
「売れなきゃ作る意味ない」
とコメント。
確かに高いけど、これだけ手がかかってるんだから高い理由があるでしょう、といっても納得いかない様子。
そもそもお殿様の献上品で超超超高級品なわけで、われわれ庶民に手が届きにくい値段で当たり前なのでは。
われわれが心配しなくても、国内外のお金持ちが「あら、素敵ね! これ一式いただくわ~」などといって、たまにがばーっと売れたりするのかも。
美術館のように、素晴らしい作品を生で見られるだけで十分素敵で目の保養になるし。
本当にどうしても欲しいなら、頑張ればグラス1個くらいなら買えなくはないし。
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などと言っていたら
「あんたは作る人の立場の意見ね。私は買う人だから安いほうがいいのよー」
と言われてしまった。
そうか、なるほど。
全然ジャンルは違うけど、私もウェブ制作というある意味「モノづくり」仕事に関わっています。
工数や技術にはお金がかかると思っているし、そういう手間のかかる仕事が正しく評価されるべき、つまりきちんとした報酬が払われるべきだと思う。
だから、高い値段であってもあの工程説明ビデオで見たような手順を踏むのであれば「正しい報酬」だと認識しているのだな。
一方、その辺の詳細な工程の認識をすっ飛ばしてしまうと、
「きれいだからほしい」→「(単価だけ見て)高すぎる」
となってしまうのか……。
※母は薩摩切子制作のビデオを、ちらっとしか見ていません……。
などと、仕事でクライアントに対して、工程や技術の正しい認識をしてもらうことの重要性などを考えてしまったのでした。
念のため、母の名誉のために言うと、なんに対しても「高い」と言うわけではないです。
母の趣味のものなど、きちんと本人が評価できるものに対しては、高いものでもそれが相当の価格であるとわかっています。
薩摩切子に関してはそこまで興味がないまま、見た目と感覚だけで言ってしまったのでしょう。
結局小さなものすら買わず、目の保養だけしてお店を出たのですが、母とのやり取りでいろいろ考えさせられてしまいました。
母のような感覚で見る人はたくさんいるでしょうし、このデフレ全盛の中で、きちんと丁寧に作られたものを正当な価格で売るのって、相当に難しいんだろうなー。
私には手の出なかった薩摩切子ですが、いろんな色や研磨の手法を使ったガラスたちを見られただけで貴重な体験でした!
本当に美しいです!