こんにちは、つたちこです。
2冊の本を読みました。
「一度きりの大泉の話」と「少年の名はジルベール」。
萩尾望都先生と、竹宮惠子先生の自伝です。
「一度きりの大泉の話」がつい最近発売され、いろんな感想を見かけてどうしても気になって読みました。
その後、片方だけを読むのはいかがか、と思って、竹宮惠子先生の「その名はジルベール」も読んでみました。
私はライト読者です。
まず私の立ち位置ですが。
萩尾望都先生は好きだ。
福岡で現在開催中の原画展には絶対行くぞ、と思っています。
でも熱烈なファンかというと、そこまででもない。
「ポーの一族」を読んだのは大人になってからだし、そこから若干はまって彼女の作品をいくつか読んでいろいろ打ちのめされたりしました。
一方、竹宮惠子先生は、中学の同級生に竹宮先生の大ファンがいて、彼女からいくつか借りて読んだ覚えがあります。
「地球へ…」が面白かった。
「風と木の詩」を読んだのも大人になってからだったかな。
「大泉サロン」や「24年組」という名前は聞いたことあるけど、詳しくはしらない。
そのくらいの、ライトな読者です。
作品はいくつか読んでますが、お二人自身のことは詳しくありません。
一度きりの大泉の話
つい最近出版された、萩尾望都先生の自伝です。
「大泉に住んでいた時代のことは封印していました。しかし今回は、当時の大泉のことを初めてお話しようと思います」(前書きより)。全352頁、12万字書き下ろし。未発表スケッチ収録。
一度きりの大泉の話 :萩尾 望都|河出書房新社
352ページ、12万字書き下ろし。未発表スケッチ多数収録。出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録。
「ちょっと暗めの部分もあるお話 ―― 日記というか記録です。人生にはいろんな出会いがあります。これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」
萩尾先生がインタビューされているのをまとめて、さらに手を入れているそうで、語り口調で話が進みます。
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萩尾望都先生は、どれだけご自身を卑下するのだ、と思ってしまった。
自称「巻末作家」って!
当時、本当にそのくらいの評価しかされてなかったのだろうか。
それとも彼女の思い込みもけっこう強い気もする。
(萩尾先生の作品は全部載せる、という編集者の話も出てたし)
本のメインは「人間関係失敗談」と書かれているように、若いころ、一時は同居していた竹宮惠子先生から絶交を言い渡されてしまった話です。
読む限り、萩尾先生には全く悪いことをした覚えがない。
(追って読んだ「…ジルベール」でもわかりますが、実際悪いことは何もしていないと思う)
萩尾先生の立場からすると、仲良くしていた人から急に断絶されてしまった、ショックな出来事。
自分は何も悪いことしていないと思うのに、なにか気に障ったんだろうか。
その原因も不明で、聞くのも怖い。
もう考えたくないし、忘れたいし、となって、その気持ちを凍結したまま今に至る。
竹宮先生側に立つと、自分たちが「少年愛」で盛り上がっていても、「あまり興味が持てない」とスルーされる。
(萩尾先生は理解しようと努力はしていたようですが、興味持てないものは仕方ない)
ひょうひょうと独自路線を行く萩尾先生は、一線を画しているように感じたのかも。
「あなたたちとはつるまない」と言われているような気になっちゃうのかも。
そして作る作品が素晴らしい。評価もされている。
嫉妬、しちゃうかも。
そしてそのほかにも、かなり細かいエピソードが連なっています。
よく覚えているな! と感心してしまう……(50年前ですよ?) 。
もちろんメモは残しておいたのかもしれませんが、その時の情景が目に浮かぶように思い出せるというのは、漫画家さんだからでしょうか。
少年の名はジルベール
そんな感想を持ちつつ、もう一方の視点からも読まなくては、という変な義務感が出て、竹宮惠子先生の「その名はジルベール」を読んでみました。
こちらは、竹宮先生のデビュー当時から大泉時代を経て「風と木の詩」の連載にこぎつけるまでの話でした。
少女マンガで革命を起こした漫画家の半生記
少女マンガの黎明期を第一線の漫画家として駆け抜けた竹宮惠子の半生記。
石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。
後に大泉サロンと呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。そして現在、京都精華大学学長として、学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。
1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』などベストセラーを連発した著者が、「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。
少年の名はジルベール | 小学館
この本の中で本人が語っているように、竹宮惠子という人は非常に戦略的に話を作る人なんだなあ、と思いました。
徳島大学に進学(その後中退)、のちに、京都精華大学の教授、学長まで務める才女。
理詰めで考えるタイプっぽい。
一方萩尾先生は「話が天から下りてくる」タイプ。もちろん生みの苦しみはあるでしょうけど。
全然タイプが違う。
「少年の名はジルベール」を読むと、竹宮先生の苦しみもわかる。
そばにいる巨大な才能の塊みたいな存在。
自分も認められてるし努力もしているけど、なにか空回りしている。
でも「大泉の話」で萩尾先生がさんざん悩んでいた「少年愛を描くことによる少女漫画革命を邪魔したから嫌われた?」という件は、何も書かれていなかった。
もう少しシンプルに、萩尾先生の才能とそれを編集者に認められていることに対する嫉妬によるストレスでスランプに陥り、それが苦痛で大泉を解散した、と書かれています。
同居解消後も歩いて5分ほどの距離に住むことになり、やはり交流が絶えなかったため、いよいよ耐え切れずに絶交を言い渡したとありました。
わりとさらりと書かれていて、萩尾先生側のリアクションなども描写はありません。
その後、ご自身の努力とパートナーの増山さんのプロデュース力との二人三脚でスランプを乗り越え、ヒット作を生みだし、ようやく念願だった「風と木の詩」の連載を取り付けたところで本は終わります。
「大泉」の傷は一方にだけ深く残る
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少しわかった気がする。
別れを告げたほうは、自分発信だからその理由が明確にわかってて、その苦しみやスランプを自力で克服したから、もうそこに遺恨は残らない。
以後は前向きに新たな作品作りに取り組み、「あの時は大変だったな」で解決済み。
過去の話として自ら整理して語れるのだ。
だから、大泉時代の話を問われても平気だし、萩尾先生と対談してほしい依頼があっても「萩尾先生がOKならいいですよ」ってなるのだな。
一方、別れを言われたほうはその正しい理由もわからず、自分でうつうつと原因を考えなければならない。
でも、自分のなにかしらが相手を傷つけたに違いない、という思いのもと、いかにこれ以上相手を刺激しないかだけを考えて、さらに自分のストレスをこれ以上広げないためにも、相手にもその情報にも一切接触しないことを選択した。
当時の記憶を「冷凍庫に入れて鍵をかけた」とあった。
傷は残ってるし生々しいままだけど、封印していた。
なのに、その相手はもう「過去の出来事」で解決済みだから、自伝を出して注目されちゃった。
自伝を読んだ周りが興味を持って、封印した部分をあけろあけろと刺激してくる。
それはつらい。
「大泉の話」に、「この本を読んだら、もう大泉に関する話は一切しないでほしいし聞かないでほしいし、利用しないでほしい」とありました。
約50年前の出来事とはいえ、感触がなまなましい。
二十歳前後の若くて勢いのある制作者、才能ある人たちが集まって2年も一緒に暮らしていたら、こういうことが起こりそうだな、とも思う。
あと、同居している以上は、ちゃんとコミュニケーションを、そして一定の距離をとることも大事よね……。
密接すぎたのでは。
(個人的ないまの感覚では、ちょっと近すぎてツライ。パーソナルスペース欲しい)
最初に書いた通り、私はあくまでライト読者なので、マンガは読みますし好きですが、お二人の先生個人にそれほど深い思い入れはありません。
でも一つの物事の当事者、それぞれの目線での考えてることが知れて、興味深かったです。
竹宮先生はこの本を読まれたのかなあ。
読書メモっていうか、「大泉」に関するメモって感じになっちゃいました。