私の「毎日書くこと」

こんにちは、つたちこです。
このブログを毎日書くようになって、約3年3か月。
一度だけ、今年の春に一時休止したことがありましたが、それ以外は毎日書いています。
日課であり、もう意地のような代物でもある。

 

そもそもなんで毎日書こうかと思ったかというと、仕事でちらほらと文章を書くことがあって、それの訓練にならないかな、と始めました。

でもそれは最初だけ。
実際あまり訓練にはなっていない気がする。
(ブログは思うままに書き連ねているので、テーマや制約のある仕事文章とは全然違うのです……)

それ以降は、フリーランスっていう制約のない中で自分を縛るものが、なにかほしかった気がします。
「これは毎日やるノルマ」みたいな。

この「自分で決めたノルマ」を必死で守っているのが現在。
毎日更新の、綱渡り感がすごい。

写真:PCでブログを書くイメージ

 

一方で「毎日書くことの効能」がないわけではなく。大きく3つあります。

一番は、必死でネタを探すこと。
なんでもいいから書くぞ、と思っているものの、それでもなんかしらのテーマやらネタやらがないと、書けません。

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初めてのお店にご飯食べに行った、なんていうのは大ネタです。
体験して得た情報と感想がたっぷりあるので、ものすごく書きやすい。

そういうのがないときは、普段の日常生活の中で、なんとかぎりぎり1本書けるようなネタを探す。

ちょっとした会話から考えたことをまとめる、見かけたものを追いかけて調べてみる・やってみる、みたいな「アンテナを張る訓練」はできているかもしれません。

 

2つめの効能は、書くことに対する敷居が低くなったこと。

以前の「ネタがあったら書く」だったころは、そのネタをどう面白く伝えるか、うまく書くか、が悩ましかった気がする。
「ネタはいいと思ったのに、書いてみたらうまく書けないなあ」って、最終的に書き上げられないときもありました。

その点、今は「なんか書く」が日常。自分で納得いかなくてもとにかく最後まで書いてアップします。

質より量。
この考え方がいいかどうかの意見はあると思いますが、とにかく毎日書くことで「書くこと」への敷居が下がった。身構えなくなったというか。
自分的にはこれが一番の訓練成果な気がします。

「パンプスをやめて、いつでも歩き回れるように普段からスニーカー履いている」みたいな感じかも。

 

最後は、自分の記憶代わり。
これは「書くことの効果」とはちょっと違うかもですが、自分に起こった些細な事でも書いておくと、後からそれが思い出せて便利です。
すぐ忘れちゃうので。

出かけた場所や食べたもの、思ったこと、作ったもの、ジョギングの記録、読んだ本や映画・ドラマ。
どれも「やった気がするけどなんだっけ?」みたいなあいまいな記憶をもとに、ブログを見返すと鮮明に思い出せることが結構あります。
毎日書くことで、自分の行動ログ的なものになってます。

一応「ひと様に読んでもらうもの」として意識して書いてはいるので、それが功をなしているのかも。
たまーに昔のを見直すと、他人の記憶を見ているみたいで面白いこともあります。

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それでも「今日はもう無理だよ」という日もあります。
書くネタが見つけられない、忙しい、具合が悪い、などなど。

休んでも、だれにも怒られない、たぶん。
もう今日は書かなくてもいいんじゃないか……。
と、くじけそうになる22時(残り2時間)、なんて日も結構あります。

でもほんのわずかですがいらっしゃる、ブログを見に来てくれている方を更新なしでがっかりさせてしまうかもしれない、と思うと、「やっぱり休むのはだめだー!!!」と気持ちが沸き上がるのでした。

ブログ見に来て更新されてないと、残念ですよね。
私も他の方のところを読みに行くとそうです。とてもよくわかります。

だから「毎日」って自分で言っている以上は毎日だ。
と、自分を奮い立たせてます。

そういうモチベーションが得られるのも、見に来てくれる人がいるからであります。
本当にありがたいです。

 

すでにお気づきかもしれませんが、今日のブログもネットで見かけたことが発端です。
「毎日ブログを書く」というほかの方の話を見かけて、頭の中でぐるぐるしたことを書いてみました。
若干ポエミーな感じになった気もしますが、そんな気持ちで毎日書いてます。
役に立つ記事だけがブログじゃないよ……!
よければ今後もお付き合いください。

 

Photo by Christin Hume on Unsplash

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