こんにちは、つたちこです。
Twitterで連載されていた「100日後に死ぬワニ」、話題になっていますね。
気になっていたものの、リアルタイムで毎日追いかけていたわけでもなく。
でもやっぱり昨日迎えた最終回は気になって、見てしまいました。
ああ、ストレートにそう来たか、という気持ち。
桜の季節に満開の桜で終わる結末。
そして、作者のご友人が事故で亡くなっていたという情報も見ました。
いつもの日常のすぐそばに、突然現れる喪失を表現したかったのですね。
そんなタイミングで、久しぶりに友人(元同僚)が連絡をくれました。
「共通の友人が検査の結果病気だとわかった」という知らせ。
<スポンサーリンク>
余命というキーワードとともに、数字まで明らかになった病気だと、教えてくれました。
困難であっても治せるかもしれない病気もたくさんある中、「余命」を本人に伝えられているということは、治る見込みがほとんどないってことなのでしょう。
友人は、まだ40代前半です。
若すぎるだろう。
哀しいっていうより現実感がなさすぎる。でも衝撃がすごかった。
ごはんが食べられるうちに一緒にごはんをたべよう、というお誘いでした。
私と、ごはんを一緒に食べたい、と思ってもらえたのかな。
そんな時にそんな風に声をかけてもらえたのが、ショックなのに嬉しかった。とても複雑。
<スポンサーリンク>
昨日「ワニ」の最終回を読んで思ったことが、自分のスマホにリアルに飛び込んできた感じです。
周りも自分も、毎日同じようにいる気がするけど、実は明日死ぬかもしれない。
ショックを受けている私も、彼より早く死ぬかもしれない。
ずっとそこにいる保証なんてないのだと、しばらく忘れていたものを思い出させられました。
戦友のような、一緒に荒波を乗り越えた人と、ごはんを一緒に食べたい。
私にできるのはそれだけなんだなあ。無力であります。
Photo by Till Rottmann on Unsplash