こんにちは、つたちこです。
メランコリック&ポエミーです、お付き合い下さい。
昨日Twitterに、「フジファブリックがMステに初めて出た」というニュースと一緒に、出演した映像が流れてきました。
フジファブリック、志村正彦と山内総一郎が『Mステ』でともに“若者のすべて”を歌った日 (2019/08/10) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)
志村正彦が亡くなって10年だという。
そんなに経つのか! という気持ちとともに、その「出演した映像」を見たら、もうたまらなくなってしまった。
フジファブリック、正確には志村正彦がいたころのフジファブリックは、それほど音楽を熱心に聴かない私が最後に大好きだったバンドでした。
音楽を聴くことにそれほど情熱を燃やすタイプではないですが、フジファブリックは最初に聞いた時から妙に惹かれ、志村正彦の「癖の強い変な声」(ほめてます)が癖になってしまったのでした。
<スポンサーリンク>
いつかライブに行ってみたいなーと思いつつ、仕事も忙しいしチケットを取る気合もないまま、志村正彦が亡くなったニュースを聞きました。
まだ29歳。それほどの若さで。なんで。
「いつかライブに」は永遠に行けなくなってしまった。
同時に、志村正彦のいなくなってしまったフジファブリックに対して情熱は薄れ、フジファブリックはもちろん、それ以外の音楽についても積極的に聞くことはなくなってしまいました。
そんなになって10年もたってから、Mステの映像ですよ。
今のフジファブリックのボーカルの山内さんが「若者のすべて」を歌っていました。
私は今まで山内さんの「若者のすべて」を聞いたことがなかった。
ああ、やっぱり志村正彦の声とは違う。当たり前だ。これが今のフジファブリックかー。
と思っていたら、突然志村正彦の映像が背景に流れ、そして歌声が流れ。
うそでしょう?
久しぶりに聞く志村正彦の「若者のすべて」と、今のフジファブリックの「若者のすべて」が重なって、もう何とも言えない気持ちになりました。
目から水が。
先ほどの記事にありましたが、フジファブリックは志村正彦をずっと大事にし続けていたのでした。
バンドの創始者でありボーカルでありメインコンポーザーである中心人物を突然失ってしまってもフジファブリックが歩みを止めなかったのは、「フジファブリックというバンドが好きだから無くしたくなかった」というシンプル極まりない理由からである。
フジファブリック、志村正彦と山内総一郎が『Mステ』でともに“若者のすべて”を歌った日 (2019/08/10) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)
あーもうほんとに、志村正彦亡き以降、聞いてなくてすみませんでした!!!!
特に後を継いだボーカルの山内さんはどんだけすごいプレッシャーだったんだろう。
想像もできない。
すごい。ほんとにすごい。
<スポンサーリンク>
そんな翌日の今日、またもやTwitterで流れてきたものに目が停まりました。
志村のお母さんから送られてきた最後の花火です。
鳥肌。 pic.twitter.com/pyv7pTKDyI— 柴宮夏希 (nemo) (@nemograph) August 9, 2019
「志村のお母さん」としか書いてないのに、昨日の今日なので「志村正彦」だと直感。
映像を見て、またしても目から水。
富士吉田の花火大会と「若者のすべて」なんて、ちょっとなにそれ、もう。
※志村正彦の出身地は山梨県富士吉田市です。
何年経っても思い出してしまうな
という詩が突き刺さる。
亡くなって10年経つから?
命日関係のないけど、お盆だから?
志村正彦に心が振り回された2日間でした。
ひさびさにフジファブリックのCD聞きたいな、と思ったのだけど、うちにCD聞ける機械がないことに気が付いた……。
(引っ越しの大幅断捨離でもフジファブリックのCDは処分できなかった)
でもやっぱり私にとっての「若者のすべて」は志村バージョンだ。
誰がカバーしたとしても、志村バージョンにはかなわないのだ。