あれから9年。2011年3月11日を思い出してできることを粛々と。

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こんにちは、つたちこです。
3月11日、あれから9年。
震災の犠牲となったみなさんのご冥福をお祈りします。

あの日の記憶は、9年経った今でもかなり鮮明です。

 

私がいたのは東京・市ヶ谷。
当時勤めていた会社で、後輩のデスクのそばに立って軽い打ち合わせをしていました。

揺れ始めは「あれ? おおきい?」くらい。
そのうち本格的に揺れ始めました。
体験したことのない大きなゆれ。
とっさに全然動けない私を、話をしていた後輩が「こっちです!」と、自分の机の下に引き込んでくれました。

最初の揺れが収まるまで、頭を抱えて机の下で呆然としていました。長かった。
「震度5強って、こんなにすごいのか」
と、後で数字を見て思いました。

幸い、会社内では大きな被害やけが人は出ませんでした。
地下だったので、ほかのフロアよりは揺れがましだったのかもしれません。

 

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そこからはもう、ほとんど現実感がありません。
3月は1年で一番忙しくて仕事はものすごく立て込んでいたけど、仕事をする気にもならず。

ネットでいろんなニュースを見まくりました。
リアルタイムで放映されていた津波の映像も、会社でみました。
まるで現実感がなかったのを覚えています。

電話はほとんど通じなくなり、近くのコンビニは物がなくなり、電車は止まりました。

じわじわと、さっきの地震とこの映像がつながってて、本当に日本でこんな事が起こっているんだと実感しました。

 

その夜会社では、月に一度の誕生日会をやる予定で、たこ焼きパーティを予定していました。
(そういうほのぼのした面もある職場でした)

既に準備してしまったタコ焼き素材、解凍してしまった大量のタコ。
帰宅困難で帰れず、コンビニで食べるものも買えない中、
「材料あるし、このままだと廃棄だし、たこ焼きつくるか」
とホットプレートで作り始めるメンバー。

パーティのはずが、立派な非常食に。

私自身が食べたかをよく覚えてないのですが、そのたこ焼きで、とりあえずみんなの飢えをしのげた、という何ともシュールな思い出です。

 

私自身にも、私の身内や友達にも、ものすごい大きな被害はありませんでした。
(モノが壊れた等はさすがにありましたが)

無事ではあったものの、毎日続く震災や原発事故関連の情報に、どんどん疲弊していったのを覚えています。

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ここ数日で、震災関連の特集番組を見たりすると、当時の感覚を思い出します。
まだまだ復興は道半ばなんだな。

 

そして9年後の今、ちょっと似た空気になっている気がします。
毎日のトップニュースは新型コロナウイルスの感染者数、学校が休校、イベント中止、株価暴落、などなど。

しかもこれが東日本だけじゃなく、全国、全世界で起こっている。

必要だから情報を得ておきたいと思う一方、ため息でそうな情報ばかりでもう遮断したほうがよいのでは、とも思ったり。
(遮断しようにも色んなところから目に入ってきてしまうんですが……)

 

あんなにひどい震災があっても、道半ばとはいえかなり戻ってきていた。
今回だって、そのうち大丈夫になるときがくる、と思うんですが、これも正常バイアスなんでしょうか。
私の考えが甘いのか、毎日グルグル考えてしまいます。

とりあえずできること。
押し入れの災害グッズを見直して、足りないものを買い足そう。
トイレットペーパー買い占め・欠品の件もそうですが、災害用に日用品や食料をある程度備蓄しておくことは、どんな災厄にも役に立つはず。
当時を思い出して、防災意識を持ち直そうと思います。

 

Photo by frank mckenna on Unsplash

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この記事を書いた人

つたちこ

フリーランスのwebディレクター。基本方針は、健康的においしい食べ物とお酒を楽しむこと。できるだけご機嫌で生きていきたい。
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