自分のなかのぼんやりした気持ちや感覚を説明するのは難しい

※本ブログの一部のページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

こんにちは、つたちこです。
今日は、もやもやとしたものを吐き出す話です、すみません(先に謝る)。

 

今日お昼を食べながらオットと話をしていたのですが、話が流れ流れて「私はもっとこんなことをしたい」という話になりました。

たいしたことではないのです。

今はまだ全然糸島のいいところを知れていないと思う。
せっかく地元なのだから、もっと糸島の海や山や景色を満喫したい。
というのが発端。

だからといって、山に登山に行きたいとか、海でサーフィンしたいとかとも、ちょっと違う。

海辺を散歩したい、とか、きれいな夕日を海辺で見たい、とか、山からの景色を眺めたい、とか、きれいな星空を観に行きたい、とか、そんな話です。

私的には単純な話なのですが、なんかうまく伝わらない。

 

オットは「どこかに行くなら目的を持っていきたい」派。
「海に行って何するの?」
「サーフィンとか、SUPをやりたいってこと?」
「そこで何か仕事をするとか?」

いやいやいや、そういうんじゃなくて……

海に行ってのんびり過ごすこと自体が目的。
きれいな景色を観に行くこと自体が目的。

<スポンサーリンク>

行った先で、アクティブになにかをしたいわけじゃなくて……。
いや、結果的にそこで何かをしてもいいけど、主従的にはそっちが主じゃなくて……。

と説明するのですが、なんというかうまく伝えられない。

自分自身でも明確な言葉にしたことはなかったので、よけい説明に困る。
なんとなくで考えていたこと。
感覚的でぼんやりしています。

 

ありがたいことに、オットはこういうとき「わけわからん」と突き放さずに理解しようと努めてくれるタイプなので、
「それって、花見みたいなもの?」
などの自分なりの似たものの具体例を出してくれたり。

うーん、似てるけどちょっと違う気がする。
自分なりにかみ砕いて説明してみるのですが、なんかピンとこない。

こっちがピンとこないのだから、オットはますますわからない。

 

結局途中で話は終わった(というか共有しきれないので時間で強制終了した)のですが、自分的にもやもやが続いており。

こういう時は文字に出すのが良いのだ。
頭の中だけで考えると、ぐるぐるするだけで進展しにくい。

とりあえず思い立ったことをつらつらと書いたりしてみました。

ぐちゃぐちゃなのでぼんやりと。

 

書いては見たものの、結局自分自身ではっきり「こういうことです!」という解は出ておらず。

なんとなく分かったのは

「本を買う時に、
買いたいものが決まっていてamazonで検索して買って自宅に送ってもらうか(目的主体)、
本屋になんとなく行ってぶらぶらすることで、何も得ないかもしれないけど思わぬ出会いがあるかもしれない(行動主体)」

……という違いかな、ということ。

<スポンサーリンク>

唐突でわけわかりませんね。すみません。

目的ありきだけじゃなくて、行動すること自体にも意味がある、という感じでしょうか。

 

いや、難しい言葉にすることはない。

ぶらぶらしたいんですよ、たぶん。
糸島の、いろんなきれいな景色を見ながら、ぶらぶらと歩きたい、散歩したい、とか、そんな感じ。

 

ちなみに、我が家は糸島市内でも住宅街地域なので、海に出るにも山のほうに行くにも、車で20~30分くらいかかります。

だから「ぶらりとさんぽ」を楽しもうとするには、ちょっと手間なんですよね。

でも東京にいることを考えたらさ。
たったの30分。
思い立った時に車に乗り込めば、30分後には美しい海や山にいけるのですよ。

この気軽さ。
せっかく糸島に住んでいるのだ。
もっと街や海や山と、親密な感じになれないものか。

「週末に遊びに来た」じゃなくて「家の近く」だからさ。
お店や観光地だけじゃなくて、もっと細かいいいところを探したいし、知りたいのです。
「地元」になりたい。

 

結局は、自分自身がもっと衝動的に、行動的に、なればいいだけなのかもしれません。
単純に、したいこと、どんどんすればいいのではないかな。
余計なことをいろいろ考えて自分で勝手に抑圧してしまうタイプだなあ、私は。

などと、ぐるぐる考えてしまった半日でした。

  • ブックマーク

この記事を書いた人

つたちこ

フリーランスのwebディレクター。基本方針は、健康的においしい食べ物とお酒を楽しむこと。できるだけご機嫌で生きていきたい。
ブログ「tsutachi.co」は毎日更新中です。