こんにちは、つたちこです。
「きのう何食べた?」24巻が発行されまして、さっそく手に入れました。

こころにぐっと来る展開。そしてこの24巻の、さらにこれまでの始まりからのすべての物語の構成のうまさに、どかんと撃ち抜かれた気持ちです。動揺している。
以下、はげしくネタバレがあります!!
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始まりはいつもの感じで、「これおいしそう、作ってみよう」と思う、ビビンパとか冷製スープとか、餃子とか。
いつもの日常。
そこに新しくタブチくんと千波ちゃんがシロさんとの交流が始まり。結婚披露宴って交友関係が広がることなんだな、と。
『シロさん』呼びのニヤニヤしちゃう展開からの急転直下。
感情の波がごばっと押し寄せました。
シロさんのお母さん、久栄さんが、あっけなく亡くなってしまった。
倒れてからの姿は見せず、シロさんの行動(つまりケンジ目線)でしか様子がわからない。
一旦よくなる方向かな、とホッとしたのもつかの間の、久栄さんの亡くなった知らせがLINEでぽつんと入るのがリアル。こんな急に。
それでも仕事は待ってくれないから、お客さんには笑顔で接するケンジがまた本当にそうありそうで切なかった。
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焼香に行くケンジにお父さんから語られる、お母さん久栄さんのお話。
いままでシロさん目線で語られてきた両親の話、お母さんの話、お父さんの性格、視点がかわるとこんな切ない話になるのか。
朝ドラの「カムカムエブリバディ」でも思ったけど、どんな人にも、その人の人生、若い頃からの長い積み重ねがあって今に至る、というのを改めて考えさせられる。
悟朗さんと久栄さんの62年にわたる結婚生活。
いきなり「お父さん」「お母さん」になったわけじゃない。どんな人にも若い頃があるのだ。
1巻のころの久栄さんは、いつまでも息子が同性愛者であることを正しく理解できない困った親、コミカルに見せつつちょっとエキセントリックな親…って感じだったけど、それはシロさん視点。

宗教にハマったことがあるとか、性同一性障害の子どもを持つ親の会に行ってる(認識が間違ってる)とか、そういうシロさんが語ったエピソードのサイドBは、お父さんお母さんにとって、こんなに必死で切なくて懸命なことだった。
お父さんが「史朗には言っていない」って言ってた。だからシロさん視点には出てこない話だったのだ。
シロさんが知らない話を、ケンジはお父さんから伝えられて、「この後を頼む」と頼られた。それはもう、ケンジ号泣するよね。
壮大だ。
過去のエピソードが、20年ちかくたったあとで、こんなかたちで別視線で明かされるなんて。
そしてもう一つ。
24巻の最初の話で、ケンジが歳のせいか夜中にトイレに起きちゃう&シロさんは眠りが浅くてそれで目が覚めちゃう、という加齢エピソードがあります。
「わかる〜」とニヤニヤしちゃうのですが、最後のお話でその「夜中に起きちゃう」が使われます。
ケンジがお父さんから頼まれた「風邪ひいちゃうから、史朗が寝ているときに肩が出てたらふとんをかけてあげて」という優しいお願い。
お父さんたちにとって、いくつになっても、還暦を過ぎても、シロさんは可愛い子供なのだ。心配なんだね。(シロさんの子ども時代のかわいいこと……!)
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そして24巻の最後に、夜中にトイレにおきたケンジが、シロさんの布団をかけ直してあげるシーン。
このシーンが今回私が一番胸に来たシーンです。
なんていう静かな日常だ。お父さんもケンジも、やさしいの塊だよ。
物語の作り方が、すごい。
改めて心を激しく動かされたのでした。さすがよしながふみだ。
あと、ごはんのもつパワーも改めて見直しました。
ケンジの作る、温かい野菜たっぷりの味噌煮込みうどん。
くたくたで体も心もしんどいときに、体の中から温まる。
食事って、こんなふうに思いやりを表現するものでもあるのだな。
このあたたかさにきっとシロさんは救われているんだろうな。
で、ぐわーっと来てた感情の波がようやく収まってきたあとに、本を閉じて、気づきました。
表紙のピンクのバラの意味。
お母さんの好きな花じゃんね…!!!

最初に書影を見たとき、お花、しかもバラなんて、なに食べの表紙には珍しいな、と思ったのです。
この24巻は、久栄さんの巻なんだ。彼女のためのバラなのだ。
一旦収まった感情がまたぶり返してきて、胸を締め付けられる思いでした。
本文を読む前と読んだ後とで表紙を見ての感情が全然違う。なにこれ。すごい。
【おまけ】
いままでシロさんのこと「シロさん」と書いていたけど、これからは「筧さん」というべきか…(今回もシロさん呼びしちゃってますが)。