【映画メモ】「国宝」

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こんにちは、つたちこです。
「国宝」観に行ってきました。

平日昼間に行ったのに、ほぼ満席でしたよ。

これまで「悪人」「怒り」とどちらも非常に感銘をうけた映画のコンビ(原作吉田修一、監督李相日)だったので、観に行かないと! と結構前から楽しみでした。

(以下、微妙にネタバレあります)

私は歌舞伎の舞台を見たことがありません。
テレビで放映しているのをちらりと見たくらい? あまり興味を持って真面目に見たことはありません。
「かげきしょうじょ!!」も歌舞伎の描写が出てきますが、本筋ではないので説明は少なめ。

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梨園、と呼ばれるちょっと特殊な世界、世襲での名跡の襲名などなど。
「イメージ」レベルでしか知らない世界です。

だから、今回の「国宝」での役者さんたちの歌舞伎役者の演技が、どれほどのレベルなのかは測れないのですが、「すごい迫力」を感じました。

※事前にBlueskyで「『曽根崎心中』のあらすじを知っとくとより楽しめる」と見かけ、そこだけ予習しました。

歌舞伎役者なんて、本当に小さい頃から叩き込まれて、ようやく一人前になるのですよね。
どれくらいの訓練をしたのかはわかりませんが、吉沢亮も横浜流星も、すごかった。詳しい人から見たらどう思うのかな。

歌舞伎っていうのは、客席からはなれた舞台を観るのが基本でしょう。
なんとなく、大きな動きがメインだろうから「型」が大事であろうと思っていたのですが、もちろん型は当然ありつつも、あんなに役の内面を掘り下げて行くものなのですね。
目線、指先、足先の動き一つに、役の内面が染み出すのだなあ。
「曽根崎心中」だから?「連獅子」とかはまた違うのかな。

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役に入り込んで泣きながら演じるシーンもありましたが、そんなことあるのか、歌舞伎。
がぜん気になって、実際の舞台を見たくなりました。

そして、「梨園」ですよ。なんという厳しい社会。
渡辺謙が演じた花井半二郎は名門なのだろうと想像するのですが、「親」がいるといないとで、そんなに大きく変わるものなのか。喜久雄が名跡を継いでもそれだけじゃだめなのか。
ちょっと呆然とするほど、「親」の不在での落ち込みかたでした。そりゃ「血を飲みたい」と思うわけだ。(シーンは違いますが)

ストーリーとして一番気になったのは、一旦離れた御曹司、一旦落ちこぼれた名跡が、そんな簡単に復活することができるのか? という点です。地方をドサ廻りするほどだったのに。
簡単ではないのでしょうけど、あっさり復活していたので簡単に見えてしまったというか。
特に喜久雄の復活後は、新たな「親」にあたる俊介もいなくなってしまったわけで、名跡と技能だけで国宝になれるほど活躍できるものなのかなあ、と。それとも時代が変わったから、梨園も変わった、ということなのでしょうか。

あと、全体に駆け足というか、人間関係が複雑なのに説明が少なく感じました。きっといろいろあるのを短縮したんだろうな、と。
(春江や藤駒との関係とか、何となく分かるけどもう少し見たかった)(三上愛ちゃんをもっと見たかった!)

いろいろありますが、それでも上映時間3時間があっという間に過ぎてしまう、濃厚な作品でした。
歌舞伎シーンは本当に美しかった。

原作が分厚い上下巻ぽいので、そちらを読むとより理解が深まるのかも。今度読んでみよう(先に予習すべきだったかな)。

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この記事を書いた人

つたちこ

フリーランスのwebディレクター。基本方針は、健康的においしい食べ物とお酒を楽しむこと。できるだけご機嫌で生きていきたい。
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